創業者の想いを受け継いで
創業者の想いを受け継いで
パン造りを通して神と人とに奉仕する
進々堂は1913年、続木斉・ハナ夫妻によって京都で誕生しました。続木斉は内村鑑三門下のクリスチャンであり、「パン造りを通して神と人とに奉仕する」と言って進々堂の仕事を始めたといわれています。
当時日本ではパンに含まれる栄養素(ビタミン・ミネラル・タンパク質等)の健康への効果が注目され始めていました。続木夫妻は新しい時代の主食として日本にパンを広め、日本人の健康的で豊かな食生活に貢献したいという理想に燃えていたのです。
この「パン造りを通して神と人とに奉仕する」という言葉を、私たちは今も進々堂の経営理念として大切にしています。
詩人を志したこともある斉はパンを題材にたくさんの詩を書き、当時の京都新聞に企業広告として自作の詩を掲載しています。その中のひとつ、斉のクリスチャンとしての信仰とパン造りへの情熱がほとばしり出ているのが「真実の生活」という詩です。
生きとし生けるものへの愛、そして天職としてのパン造りに対する真摯な姿勢。もの造りに携わる生き方のお手本が、ここに示されているのではないでしょうか。
「本物のパン」へのあくなき探求
高い理想に燃えて進々堂を開業した斉でしたが、日に日に「本物のパンを知りたい」という欲求を募らせるようになります。その想いが昂じて遂に斉はパンの本場フランスへの渡航を決意します。
1924年、二ヶ月の船旅の末、斉は日本人パン屋として初めてフランスの地を踏みます。そしてパリで出会ったフランスパンに大きな衝撃を受けます。その興奮は妻ハナに宛てた手紙からも伝わります。
パリを拠点に足かけ二年間ヨーロッパ中を旅し、斉はむさぼるように本場のパンの技術や素材、そして設備についての知識を吸収します。そして帰国後はこの固焼きパンのおいしさを日本に普及させるべく、フランスパンの製造に取り組みました。
昭和5年、斉が京都新聞に掲載した「美はしきフランスパン」という詩が斉のフランスパンへの熱い想いを今に伝えています。
主食としてのパン造り
素材も気候も全く違う環境でのフランスパン造りは困難を極めましたが、斉の努力は段々と実を結び、当時の京都の文化人・知識人のあいだで進々堂のフランスパンは評判になります。ホテル・レストランへのフランスパン販売も開始した進々堂は、京都のパン業界で異彩を放ち、古都を代表するパン店としての地位を築いたのです。
主食としてのパン造りを通して
人々の豊かで健康的な食生活に貢献すること、
そして常に徹底的に本物を希求し続けること。
創業者続木斉が示したこの想いは、
今も私たち進々堂の大切な道しるべです