進々堂の歴史

  1. 続木 斉・ハナ夫妻、左京区旧三高東側に「進々堂」を開業。

    社名の由来

  2. 火災で店舗消失、堀川竹屋町に移転

  3. 竹屋町寺町に工場移転(現本社工場)

    大正4年大正天皇のご大典が二条離宮で行われ堀川竹屋町にあった進々堂が大繁盛。また時代の後押しもあって社業発展の礎となる。のちに現在の場所に移転した。

  4. 斉は日本人最初のパン留学生として二年余り、パリを拠点にヨーロッパを巡り、パンの理論、実技を学ぶ
    帰国後フランスパンを製造、販売

    ドイツ・ヴェルナー社から抽出窯を取寄せ、アメリカからコンプレストイーストを取寄せフランスパンの製造に乗り出す。


  5. 京都で初めての本格的フランス風カフェを建築「ノートル・パン・コティディアン」と命名

    京都大学農学部横に斉がパリで見たカフェを再現。斉はこの店に「日本の将来を担う愛する学生たちに、本当のパンらしいパンと、薫り高いコーヒーを提供したい」との願いを込めた。フランス風の外装が施されたハイカラな店の出現に、当時の京都の人々はたいへん驚かされたという。
    この店は、その後斉の長男・猟夫(株式会社進々堂初代社長)が受け継ぎ、現在は別法人「京大北門前カフェ進々堂」として、猟夫の孫・川口聡氏(弊社非常勤取締役)ご夫妻が継承して経営している。

  6. 日本最初の包装食パン「デイリーブレッド」を発売
    翌年にはハイセン自動包装機を使用し、「デイリーブレッド」の量産化に成功

    「デイリーブレッド」の飛ぶような売れ行きに昭和32年工場を拡張、大改修し現在の本社寺町工場の姿となる。

  7. 「進々堂製パン株式会社」を設立

    同年5月伏見工場竣工、稼動。本格的に卸の事業に進出する工場には食パンを始め、流れ作業による量産ラインが布設された。

  8. 直営店府庁前店開店

    直営店は大丸百貨店や髙島屋、丸物(後の近鉄)藤井大丸など京都市内全ての百貨店に出店。

  9. 久世郡久御山町に新鋭大型工場建設、
    伏見から本社・工場を移転

    久御山工場
  10. 京都駅地下街ポルタに出店

    京都市内で初の地下街「ポルタ」に直営店開業。京都市内や滋賀、大阪方面から多くの来街者で賑わった。

  11. 寺町工場 再開発完了

    デニッシュペストリーの製造ラインや冷蔵設備、クーリングコンベヤ等が導入された。

  12. 進々堂フードサービス株式会社発足
    寺町工場が進々堂製パン㈱より分離

    寺町工場・直営店・業務卸を進々堂製パンより切り離しリテール専業会社として発足。

  13. 直営店北山店開業

  14. JRバスチケットセンター店開業

  15. 株式会社進々堂 稼動

    進々堂フードサービス株式会社より事業を引き継ぎ株式会社進々堂として再スタート。
    社長に続木創就任。進々堂フードサービス株式会社は解散。

  16. 進々堂製パン株式会社 廃業

    株式会社スリーエスフーズ(山崎製パン(株)子会社)として再出発

  17. 大宮店開業

  18. 御池店開業

    セルフスタイルのカフェを併設。

  19. レトロバゲット"1924"バゲットコンクールで準グランプリ受賞

    1924年に創業者続木斉がパリに遊学したのを記念し「レトロバゲット"1924"」と名づけられた。フランス産小麦を使ったバゲットコンクールで準グランプリ受賞。

  20. 北山店移転開業

    旧店舗から移転、パンを楽しんで戴くレストランと二階はセルフスタイルのカフェを併設、多機能な旗艦店となる。

  21. 西院店開業

  22. 東洞院店開業

    店内カフェはパリの風景写真、店外にもテーブルを置きパリを演出。

  23. ラクエ四条烏丸店開業

    市内中心地四条烏丸に出店、カフェはビジネス客や買物客で賑わいを見せる。

  24. 三条河原町店開業

    繁華街のホテルの一角に進々堂の新しい顔が誕生、ビルのデザインコンセプトから黒を基調とした外装を取り入れる。

  25. 創業100周年記念式典

    6月5日京都ブライトンホテルにて、創業100周年祝賀会を開催。
    200人のお客様にお越しいただいた。
    衆議院議長 伊吹文明様、京都市長 門川大作様、山崎製パン株式会社社長 飯島延浩様のご祝辞に続き、在京都フランス総領事フィリップ・ジャンビエ様に乾杯のご発声をいただいた。